嫌われていると感じる人の心
普段通りに生活しているつもりでも、なぜか「周りから避難されている」「人から悪口を言われている」と感じてしまう時ってないでしょうか。
私は過去にそういう感覚になってとても辛くなったことがあります。
相談しても「それは自意識過剰だからじゃない?」と言われて余計に落ち込んだこともありました。
今はその感覚がした時は対応できるようになったのですが、できない間は恐怖心が大きかったです。
今だから分かる、その時の心の状態や感覚を書いてみたいと思います。
参考になればうれしいです。
人から嫌われていると思う心とは
実際に「お前のことが嫌い」「あなたと話がしたくない」と直接拒絶をされたわけでもなく、なぜか周りが話している声や笑い声が聞こえると「自分の事を言われているんじゃないか」「私が何かしたのかな?」と不安になることがありました。
それは子供の頃から大人になっても湧き上がってくる感覚としてありました。
今では精神的な病名があったり、実際に精神的なものだったと思いますが、原因が不明でした。
私の場合、その感覚になるキッカケは些細なことで
- とても仲の良かった友人との輪の中に新しい友人が入った時
- 2名(偶数)で話していた中に3名(奇数)になった時
- 自分自身の感覚のバランスが悪い時
といった時でした。
思い返せば別に仲間はずれにされている訳ではなかったです。
一緒に帰っている時の集団が奇数になると、なぜか「自分だけがはみ出ている」と勝手に思い込んだり。
話題についていけないと「私の知らないところで皆が楽しんでいる」と勝手に妄想したり。
酷い時は、友人と違う人たちからも悪口を言われている感覚にもなったことがあります。
それは笑い声だったり、小さい声だったり、内緒話をしている姿だったり。
そんな声や仕草に気づくと「私のことを言われているのかな?」と思い非常に落ち込んでいました。
相談したり、本で読んだりしても「自意識過剰」「周りはそこまであなたのことを気にしていない」という言葉に溢れていたと思います。
でも、その感覚は止められず結局自分からその輪を離れいくということを繰り返していました。
思い返すと、周りの人は不思議だったと思います。
特に何も起こっていない(単に私が口を閉ざすようになった)状態で、私が離れていったからです。
原因は何だったのか
そもそも原因は何なのかというと”些細なこと”であり、子供だから”大きなこと”だったと思います。
子供の頃にひどい『いじめ』にあっていました。
私の周りでは『いじめ』をする側、受ける側ともに一定数いました。
その全員が同じような感覚だったのかは、今では確認ができないので分かりません。
ですが、『いじめ』をする側から拡散された感覚(悪意、闇)という感じがします。
その拡散された感覚がキッカケで、自分を守る手段として出てきた一つなんだと思えます。
『いじめ』を受けるのはとても辛いことです。
それを回避するためには、いくつか手段があると思いますが、なんせ子供です。
思いつく回避する手段の数は少ない。
その少ない手段から選択しなければいけません。
結果「人の顔色や発言に敏感になる」という選択をしたのだと思います。
なので、ちょっとしたいつもの表情の違いや発言に対して恐怖心を感じたりしていました。
どんな心の感覚だったのか
どんな心の感覚だったかというと、とても泣いていたと思います。
心が泣いているんです。
そして「自分はとても可哀想だ」「だれも分かってくれない」という感覚も増えていきました。
このなんとも言えない感覚は、自分の感情をかなり揺さぶるので非常にしんどいものでした。
こういう自分を否定的にする感覚というのは、心の中にある闇を増幅させていくものです。
そして、自分自身が「自分は可哀想な人間だ」と思い込んでしまうので、なかなかその感覚を突破するのは難しい。
現実の世界では、全く「可哀想」な出来事は起きていないのに、自分の中の世界では「可哀想」な出来事を作り上げている状態だからです。
なので、本人の中では「嫌われている」ことは正しいことと認識してしまっていたんです。
本人がこの状態になってしまうと、そのエネルギーも大きなものです。
なかなか「違うこと」を認められなくなります。
どうして変われたのか
時間はかかってしまったのですが、結果的に私はこの感覚とおさらばできました。
『自意識過剰』という言葉が最適なのか、私には分かりません。
どちらかというと、自分自身をどのように認めるかがとても大切なんだと思っています。
他人に認めてもらうのではなく、自分を自分で認める。
自分で自分を認めたうえで、他の人からの声も届くようになります。
そして、意外と世の中は優しい世界であり、怖い世界でもあると中立に立てるのだと思います。
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