執着は、あこがれと似ているのかな
実家の片付けも進んできましたが、
実家の問題も改善の方向に向かっています。
一人が動くと、関連して他の人も動き出す場合もあるという。
「行動する」ということが、とても重要なのは
光でも闇でも具現化していくからなんだとつくづく思います。
実家を片付けていると、執着していた頃の努力がたくさん出てきました。
ですが、思いのほか少ないとも感じています。
自分の中では、とても大きなものが大量にあるんだ。
と思っていたのですが、実際に見ると違いました。
執着していた頃の自分を、「努力している」「頑張っているんだ」と、思いたかったのかもしれません。
それに、今は見えていない場所で
まだ執着が眠っていそうなんですよね・・・。
そして、発見できてないのですが。
それを発見できるところまで、早くたどり着きたいと思います。
それにしても、執着って心の中で知らないうちに大きくなるものなんですね。
私の場合は、執着って『あこがれを抱く』ことと似ているなぁ、と思いました。
だから、距離を置けば置くほど、存在が大きく感じてしまう。
でも、知ってしまうと小さくなる。
光の面だったら、大きくなったり小さくなったり
受け止め方が、コロコロ変わらないと思うんですよね。
では、執着の片付けを、このまま進めていきたいと思います。
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