How toの前に、気づくこと
人とのしゃべり方のコツとか、コミュニケーションを扱った本などありますが。
結局は、コミュニケーションってHow toでは難しいなぁ、としみじみ思います。
例えば「なるほど」の場合、その言葉一つとっても意味が違います。
腑に落ちた時の、なるほど
相手の言葉を受けとるための、なるほど
話を流すための、なるほど
そして一方で、話す側は、相手の反応で、上手く説明できてるか判断したりします。
結局コミュニケーションって、言葉や表情以外にも、いろいろ受け取って成立しているんだろうなと、思う訳です。
私が思うコミュニケーションは、
自分も相手も心を感じ取れているかどうか。
だから、難しいのは当然だと思えます。
例えばプレゼンの時も同じで、流暢に説明ができるのが正しい、と思いません。
流暢に説明することを重点に考えてしまうと、詰まったことに対して。
練習不足だったとか、もっとこうすれば良かったと思います。
ですが、聞いてる側は、分かったかどうかで判断するので
流暢だから、速く感じたり、頭に入ってこないって原因になったり。
(逆に話がゆっくりで、頭に入ってこないことも・・・)
だから、話す側、聞く側も相手が何を伝えたいのか感じ取ることが大切だなと思う訳です。
なので「傾聴」って言葉も、声を聞き取るだけでなく、心を読むことかな、と思います。
そして、一番大きく影響を受けるのが、自分の心の状態。
それで言葉の受け取り方が変わると思います。
昔の私は、言葉の端々が気になってよくケンカしていました。
例えば、先ほどの「なるほど」も受け取り方はいろいろあるのに、攻撃的になるんです。
例えば、自分の心が悪い方向に落ちていた時は、こんな感じでした。
「今日はこんなことがあって、1日が早く終わったーって感じやわ」
「なるほど・・・」
「(今のうわべで言ったよね?)え?本当に話聞いる?」
「え?だから、なるほどって言っただろ」
「じゃあ、どの点が、なるほどって思ったのか言ってよ(本当なら言ってみろ)」
みたいに・・・・・・。
そして、自分の心の状態が良い時は・・・・。
「今日はこんなことがあって、1日が早く終わったーって感じやわ」
「なるほど・・・」
「(あれ?いつもとニュアンスが違うな)あなたは、今日はどうだったの?」
「今日は、会社でこんなことがあってん・・・云々・・・」
こんな感じで、聞いてる聞いてないという、論争には発展しない。
心が悪い状態でも、後で「あれ?なんであんなに怒ったんだろう」って思うことが多かったです。
ですが、その時が過ぎてしまうと、自分だけでは、なかなか原因までたどりつきませんでした。
結局、原因が分からないので、何度も繰り返してしまうんですよね。
話をしていて、言葉が詰まることも
聞いていて、話が入ってこないことも
そこを見ただけで、良い、悪いとはならないと思います。
話す側、聞く側が、心の何かをキャッチしているから。
その何かをキャッチして、どんな反応をしているかで、心の状態が分かるのだと思います。
結局は、自分の心の状態次第で、今までと違う観点から情報は得られるかもしれないな、と思います。
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