正義ってなんだろう

正義ってなんだろう

正義ってなんだろう

これは、光の面が良く分かってない時に感じた疑問です。

「正義」と聞いて、ぱっと思い浮かべるのはどんなイメージでしょうか。

  • 敵を倒す人
  • 悪を罰する人
  • 人を守る人

他にもいろいろあると思いますが、私はこんなイメージを持っていました。

ですが、どこに敵がいるのか?

悪はどこに存在するのか?

どの範囲の人を守るのか?

とか考え出すと、結局「正義」って架空の存在なのかしら、とか思っていました。

正義は存在するのか

なぜ、こんなことを書くのかというと、今、この「正義」が大変なことになっているなと感じるからです。

広辞苑 第六版での『正義』は。

せい-ぎ【正義】

①正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道。

②正しい意義または注解。

③(justice)

㋐社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。

㋑社会の正義にかなった行為をなしうるような個人の徳性。

※一部略しております

正義の意味は、このように書かれていました。

調べてみて、各時代や、哲学者の考え方で異なった解釈になっているんだなと思いました(もっと詳しく書かれていましたが、長文だったため、良ければ調べてみてくださいませ😅)。

 

スマホの普及率、通信速度も上がって、Webサービスが成長しています。

誰でも、いつでも、簡単に自分の好きなものが購入でき、好きな時間に発信ができる。

そんな世の中になりました。

 

私のようにブログで発信することも一個人が簡単にできます。

パソコンが高級品で、Webサイトを立ち上げようとすると、専門的な知識がいる時代もありました。

今では、素材が揃っているので、組み合わせてなんとかなるものです。

(もちろん、出来る範囲が限られていますが・・・)

 

そんな今の「正義」ってなんだろうかと。

本当にそれは、「正しい」と思っている行動なの?

それは、心の光の面が発信している言葉なの?

そんな風に感じる時があります。

心の闇に付けこむ闇

文頭で書いたように、私は、光が大きなタイプではありませんでした。

一般方の良い状態で、光50:闇50だとすると。

私はそれより、闇が大きいほうでした。

そして、闇は欲でもあるので、闇側に慣れていたため、光を感じるのに時間がかかっていまいた

光は欲がない分、分かりにくかったんですよね。

 

そんな私なので、「正義」という言葉自体に固定観念を持っていました

簡単に書いてしまえば、

悪いことをしたら、罰した方がいい。

という考え方です。

そして、インターネットが普及してからは、自分と同じ考え方はいないか?と探して、自分と同じような考え方を見つけては、「そうだ!」と思ってしまう訳です。

ですが、この闇側の考え方は非常にあぶないと思います。

 

もちろん、いろいろな意見があってもいいのです。

それは本当にいいのだと思うのですが、一部の心ない意見に振り回され。

他人の闇に、自分が支配される状態ということもありえるな、と思います。

そして、振り回されてることに気付けない

この闇は、とても刺激が強いので、劇薬なのだと思います。

自分の物差しはどうやってできるのか

どんな情報でも、検索をすれば「正しい」ことが書かれている時代になりました。

ですが、この「正しい」は本当に正しいことなのでしょうか。

誰かにとっての「正しいこと」なのか。

どの時点での「正しいこと」なのか。

自分は書き手の肩書きを見て判断していたりしないのか。

 

たった一人でも発信できる時代です。

その書き手の人の、心の在り方はどこを向いているのか

それが、一番必要になってきたのだと思います。

 

自分の心の光が分からなかった時は、自分の今の思いは正しいのだと思っていました。

ですが、光の感覚が分かって、自分に嘘をついていたことに気付けました。

自分で考えて出した答えと思ったことも、他人の物差しばかりでした

 

「正義」は、立場が変われば答えも変わります。

自分の「正義」はどこから出たのか、意識をしていないと、気づかないうちに自分自身に多くの嘘をついてしまうようです。

そして、自分の「正義」を分からなくなってしまうのだと思います。

私自身、これからも自分の心に目を向けていこうと思います。

記録(日記)

Posted by さやか