相手を想う心(光)で助けられた命
プロフィールにも少し書いていますが、私は産まれてすぐに、死にそうな状態になったと聞いています。
医療技術的なこともあると思いますが、当時は難しい手術だったようです。
術後もどうなるか分からない状態でした。
両親は毎朝、母乳を病院に持って来てくれていました。
ある日、お医者さんから「もうダメかもしれません」と言われたそうです。
それでも、両親はミルクを病院に届けることを止めませんでした。
結果、毎日届いた新鮮な食事で、命を吹き返すことができたのだと思います。
光の面で相手を想う気持ち
両親は、数パーセントの希望で、毎朝病院に届けていたようです。
今から思うと、悪い結果、良い結果のどちらになっても受け入れよう、という覚悟があったんだろうなと思います。
なので、お医者さんに何を言われても、毎日するべきことをしていたんだろうな、と。
むしろそれしかできないなら、それだけをしようとしていた。
そんな感じだったのかなと思います。
この場合の、今できることをしようとする感覚は、光の面なのかなと思います。
やさしい言葉には裏がある時も
「人を想う気持ち」という言葉は、とても善意の印象を受けます。
ですが、人間の気持ちは光と闇の両方が存在します。
同じ言葉の「人を想う気持ち」も闇の部分が大きくなった状態の言葉もあると思います。
昔CMで見かけた「あなたのためだから」は、闇を感じられた方もいるのではないでしょうか(それをネタにしたCMだと思いますが・・・)。
両親の例をあげたのは、良い結果だったからではありません。
光の面で行動したのか。
闇の面で行動したのか。
で、その後が大きく変わる行動だったと、思うからです。
そこで違いが分かりやすいのが「覚悟」だったり「今に目を向けている」というところかなと思います。
闇の面だと「こうしたら、こうなるだろう」「こうしたらこうなって欲しい」という考えに向きやすいです。
ある一種の打算といいますか、自分にとっての都合のよい未来を見ようとする傾向があると感じます。
あくまで、私の光と闇の感じ方です。
人によっては感じ方も違うと思います。
ですが、類似する部分はあると思います。
どのように気づけるのか
人間なので、打算的に考える時もあります。
ちなみに「打算」の意味を『広辞苑 第六版』で見てみると以下の様に書かれていました。
だ-さん【打算】
数えること。
特に、損得を勘定すること。
見積もること。
この、「損得を勘定する」という点が、私の闇が好物な部分だろうなと思います。
闇の好物は、人によっていろいろあると思います。
もし、あなたが相手を想ってやったこと・・・や、あなたの行動が人のためになると思ってしたこと・・・。があった時。
「その行動や言葉は何に基づいているのだろう」と考えてみてください。
それをすることで、起こりそうな出来事が、損得と分けてイメージできることなのか。
今すべきだと思ってやっているのか。
その点を見ても少し分かるかなと思います。
まずは、そのことに気づくことが大切だと思います。
光を大きくすることで結果が変わる
人生の岐路に立つ場面でなくても、覚悟を決めるタイミングはないでしょうか。
大きいこと、小さいことに関係なく、その覚悟を決める時。
光を大きくして決めるのか、闇を大きくして決めるのかで、結果は違ってくるのではないのかなと。
そして、光を大きくして決断したことは、結果的に大きく未来を動かす力になるのかもしれないと思います。
自分は助けられた側の人間です。
ですが、その光の感覚を知ることができたのは、両親のおかげなのかなと思います。
誰もが持っている「光」と「闇」だからこそ、その面に意識して行動するもの良いのではと思います。
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