幸福への近道は本当にあるのかな
エニは、ずっと幸福への近道を探していました。
「幸せに近道なんてないんじゃないか」
「コツコツ積み重ねることしかないんじゃないか」
と思っていました。
ですが、あることを知り、エニは幸福の近道に気づけるようになりました。
幸福への近道はわずかな違いだった
「幸福への近道」で検索してみると書籍やサイトが表示されます。
エニがこの言葉に興味をもったのは、幸福へ近道があればなんて便利なんだろうと思ったからです。
昔のエニは「幸福」であるか気にしていました。
それは、自分に自信がなかったことや、
上にはもっと上がいると思ってしまっていたからです。
ここではエニが思う、「幸福への近道」について書いていきたいと思います。
他人を基準にした「幸福」
エニは昔、
「このままでええのかな」
「もっと頑張らなあかん」
「こんな状態は幸せって言えんの」
そういった思いが続くにつれ
しだいに、「幸せって本当につかめるんかな」と思うようになりました。
「幸せを求めるとしんどい」
「幸せって続くほうがむずかしい」
そして、「今は幸せだけど、いずれ崩れるかもしれない」なんて思うようになりました。
本当にエニがほしかった「幸福」とは、そんな苦しい気持ちになるものだったのでしょうか。
- 人から幸せそうに見られたい
- 苦労が幸せに変わる時がある
- 自分がおこなった良いことは、いつか自分に返ってくる
それは全て、他人のものさしで自分の幸せを確認していることですよね。
自分のことを誰に幸せとみてもらいたいのか。
苦労をわざわざする必要はあったのか。
見返りを求めているだけなのか。
幸せかどうか決めるのは自分自身の気持ちでよいはずなのに、
いつのまにか、他人が基準になっていました。
自分で基準を作った幸福
昔のエニは他人の意見に振り回されていました。
それは、自分の基準が定まっていなかったからだと思うんです。
「木を見て森を見ず」という言葉がありますよね。
例えば、空を飛んで見てみると、森というたくさん木の生えた光景がみえます。
そこには、大きな木もあれば、小さな木もある。
ですが、目の前の木を見ている状態だと、隣通しの高さや大きさばかりみてしまいます。
目線を普段より高くすることで、今まで、気になっていたことが、とても小さなことだとわかるようになりました。
なので、高い物差しの基準を保つことが、他人の物差しを基準にこだわっていた気持ちをクリアする方法の一つだと思いました。
少しの違いで未来は変わる
エニは、高い基準の物差しを保つという、少しの変化によって大きく未来を変えるができると知りました。
そのきっかけとなったのは、天界とつながったからです。
(天界については、後日ブログに書きたいと思います)
それは、ビリヤードのボールように、ボールに当てた場所が少し違うだけで、進む方向が大きく変わるようなイメージです。
そんな少しの変化だけでも、私たちは価値観が変わり、幸福への近道となっていくのだと思います。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません