自分にとって課題とは
『課題』と言われると、どんなイメージがあるでしょうか。
課題って、誰にでもあると思うのですが、私も取り組んでいる一人です。
その課題が終わったとしても、新しい課題が出てくる。
そんな感じだなと思っています。
課題に取り組んでいるうちに・・・。
初めは、何が課題か分からなかったのが
自分で「あ、これは私にとっての課題だな」と分かってくる。
そういう成長もある気がしています。
初めの頃は『課題』が出たとき、とてもショックでした。
それは、「できてない」って烙印を押された・・・そんな気がしたからです。
今思えば、そう思った自分はとても恥ずかしいなと感じます😅
でも、そういう時期もありました・・・。
間違ってはいけないのが、『修行』ではないこと。
ちなみに、『広辞苑 第六版』では
か-だい【課題】
題、また問題を課すること。また、課せられた題・問題。
しゅ-ぎょう【修行】
①[仏]
㋐悟りを求めて仏の教えを実践すること。
㋑托鉢(たくはつ)をして巡礼すること。
②精神をきたえ、学問・技芸などを修めみがくこと。また、そのために諸国をへめぐること。
『課題』をするのが、『修行』ではないし、『修行』をすることが、『課題』をクリアすることではないです。
だい【題】
①頭部のしるしをつける所。ひたい。また、巻頭にしるした文字。
②書物の名。書名。
③詩歌・文章・美術作品などでその主意を短く示すもの。
④問い。解決を求められている事柄。
課題の題は、あくまで④の解決を求められている事柄なんですよね。
そして、その解決を求められているのは、目的があるからで。
目的がないと、課題も出てこなかったり。
その課題ができる状態でないと、出てこなかったり。
するんだな~と、思っています。
課題があると、自分にとっての指標にもなります。
なので、今は「できてないって烙印や~」とは、思わなくなりました。
それでも、自分の課題と向き合うと冷や汗が出てくることも。
この課題に、本当に私が向き合えるのか~?!
なんて、思うこともあります。
ですが、目的は〇〇のためなのだから、そのためには課題に目を向ける必要があるんじゃい、と思って
後退りしそうになりながら、結局正面に課題を置いている。
そんな感じで、向き合う準備に取り掛かります。
なんや~。
こんな課題なんて、へのかっぱやで!
って課題は、むしろないです。
他の人からは「へのかっぱ」に見えても、本人にとっては「うおぉ~」っとなっているってこともありますもんね。
『課題』に立ち向かっている方には、エールを!✨
そして、私も『課題』に取り組み、目的に向かってまい進したいと思います😊
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